ども。たです。
ちょっとブラックホール系の話を飛ばして、この話を
扱いたいと思います。
この辺は、理論的というよりも、ちょっと哲学的
なので、理解するのにあまり前提知識も必要
ないかな、って。
まずは、個人的な結論を述べてしまうと、
過去に行けるタイムマシンってのは開発不可能
だと思います。
というのも、現在に、未来人がいないから、、、
というのがその理由。
何十年、何百年、何千年先にタイムマシンが
開発されようとも、今という時代にそれを使って
タイムトラベルに来ている人がいないってのは、
タイムマシンの存在を否定するのに十分な
理由だと個人的には思っています。
ま、あとはメジャー所として、過去へ行けるタイムマシン
を否定するのに、『親殺しのパラドックス』ってのが
ありますね。
例えば、ある人物が、過去へ行ったとして、
その人物が、自分の親をそこで殺してしまったとします。
その場合、親がいないので、その人物は生まれない
ことになるのですが、そうなると、結局親を殺すことも
できない、という話です。
ちょっと考えただけでわかるこんな矛盾を物理法則で
成り立っている世界が許すわけないってそんな論理です。
ま、そのパラドックスを説明する手段として、
世界には無数にパラレルワールドがあるなんて
解釈もあるみたいですが、あまり現実的ではないかな。
ちなみに、逆に未来旅行は可能だと信じています。
まぁ、不可逆な旅行だけどねw
#未来に行ったまんま戻って来れないってことねw
ってか、未来旅行は今でもできているんだけどね。
相対性理論によると、運動している系にいる物体は、
静止系にいる物体に比べて時間の経つ速度が遅い
となります。
極限的には、物体の速度が光速になったとき、
その系にいる物体には時間が止まったように見え、
その系にいる限り、その物体は年をとらなくなります。
こうすれば、その系にいる人物は年をとらず、
静止系にいる人物だけが年をとるという、ある意味
時間旅行が可能となるわけです。
#浦島太郎みたいな状態ね。
で、これってのは、別に運動している系が、光速なんて
速さである必要はなく、少しでもスピードを持っていれば、
それだけでもはや静止系にいる人物とは、時の感覚が
違うワケです。
#すんげー微妙な差だけどw
具体的には、新幹線という運動系の上にいる人物を
考えます。この人は、運動系にいるので、静止系、つまり
新幹線に乗らず、普通に地上に止まっている人物に
比べてちょっと時間の過ぎ方が遅いというわけです。
東京から大阪までの移動で、何億分の一秒か、
何万分の一秒くらい得しているって話ですw
#それだけ! Σ( ̄□ ̄;)!!
ここまで書くと鋭い人はわかるでしょうか?
地球だって、公転や自転をしている以上、運動系だということを。
円運動を考えるに、角速度を ω とすると、中心から r 離れた地点に
おける、速度 v は v = rω で与えられ、これはつまり、r が大きい程
速度 v は大きいことを意味しています。
つまり、地球上においては、海抜 0m のところにいるよりも、
高地にいる方が、時間の過ぎ方は遅いってことになります。
#高地の方が r が大きいので。
ま、とは言っても、ある程度の高地で数十年ほど過ごして、
やっと平地の人と比べて 1 秒差ができるかどうか程度らしいですが。。。
これをもっと速い乗り物を生み出して、やっていけば、
とても遠い未来でしょうが、数年単位の未来旅行は可能なのでは
ないかと個人的には思うわけです。
#何度も言うけど、不可逆ですがw
#それなら、冷凍保存とかの方が現実的かなぁw
あ、ちなみに、過去へのタイムトラベルに関しては、もう 1 つ
面白い話があって、過去への旅行が可能だったとしても、
未来人が過去へ干渉することにより、結局は、タイムマシン
など開発されない未来へ落ち着くのではないか、なんて話も
ありました。
つまり、こういうことだと考えます。
タイムマシン程の技術になれば、たくさんの技術者が
様々な形で関わっていると考えられます。未来人の干渉によって
その中の数人が殺される、ないしは、直接その人物を殺さずとも、
その先祖が殺されるとか、殺されないまでも配偶者を変えられる
だけで、タイムマシンは完成しない。
そういうことかと。。。
この辺は、結構哲学を感じる話なので、自分的には結構好きですw
そんなこんなで。
では。
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